現在、各学校で実施されている避難訓練は、私が小学生だった50年前とほとんど変わっていません。50年間です。ある教育委員会の方と避難訓練について話をした際にも、課題だとは感じているものの、改善しようという意識は見られませんでした。その背景には二つの考えがあるように思います。
ひとつめは、ご自身が「正しい」と経験してきたことであり、簡単には考えを変えられないということ。ふたつめは、避難訓練を「学習活動」ではなく、管理職としての「管理のための行事」と捉えていることです。つまり、「先生(管理する側)が子どもを守る」という発想であり、子どもは「助けられる側の受動的な存在」という前提に立っているのでしょう。これでは、従来通りの訓練で「十分です」という結論になってしまいます。
しかし、私が懸念しているのは、このままでは「指示を待つだけの子ども(大人)」しか育たないということです。卒業後の人生を考えてほしいのです。
私は、学校で学んだことが、卒業して大人になったときに活かされる学びであってほしいと考えています。そのためには、自分で考えて行動できる基礎が必要です。危険を予測・察知し、未然に防ぐ、離れる、避ける、遠ざける。まずは「何が危険なのか」を知ることが出発点です。その手立てが「上よこガラス」です。
「上よこガラス」は標語ではありますが、標語にしたこと自体が本質ではありません。信号機の赤・黄・青と同じように、物事をわかりやすく、覚えやすく、構造化したものなのです。
車を例に考えてみましょう。交通安全教室では、車がなぜ危ないのかを、交通ルールや標語、事故の再現などを通して子どもにわかりやすく教えています。「車は危ないものですよ?」いいえ、車は便利で楽しいものでもあります。目的地まで安全に移動でき、家族や友だちとドライブも楽しめます。しかし一方で、状況によっては「危険なもの」にもなります。どのようなときに何が危ないのかを知っているからこそ、車道の真ん中ではなく歩道を歩くように、危険を避けることができるのです。
言いたいのは、危険を知っているからこそ、危険を避けられるということです。地震や災害も同じです。まずは「何が危険なのか」「どのようなものが危ないのか」を知ることが必要です。防災教育の授業でしっかり学び、避難訓練で安全な行動ができるかを試すのです。
避難訓練には、災害時を模したギミック(仕掛け)を取り入れ、危険因子を確認しながら、集合場所があるなら安全を主体的に確保しつつ避難(移動)することが求められます。
学習活動の流れとしては、地震災害当日を「本番」と想定します(その本番は永遠に来なくてよいのですが、来るものとして位置づけます)。
事前学習(防災教育)=練習
避難訓練=総練習
ふりかえり=危険因子の確認、行動の理由の整理、まとめ
ここまで説明すると多くの人は理解してくれます。しかし、最初に述べたように、人間は自分の考えを否定されると、どれほど正論であっても拒否反応を示すものです。人間は感情の生き物です。だからこそ、無理に理解させようとするのではなく、外堀を固めることが必要なのでしょう。
私はすでに15年取り組んできました。避難訓練が実践的なものに改変されるのは、あとどれくらい先でしょうか。5年か、10年か。未曽有の大地震は、それまで待っていてくれるでしょうか。